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書籍・雑誌

2011年12月18日 (日)

スティーブジョブス

最近では珍しく熱中して読んで読んだ本。今年のベストセラー。でも以前に読んだ【icon スティーブ ジョブズ偶像復活 】の方が捻りが効いていて面白かった。

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公認?の自伝ではあるが、結構辛辣な事もデリケートな部分も「ありのまま」に綴っているのは評価したい。ジョブスの奥さんはジョブスが人としてどうにもならない欠陥を抱えている部分があり、そこは隠す事なく描いて欲しいと筆者に伝えている。また、ジョブス本人も明け透けに書いて欲しいと願ったとある。それが何処まで真実かは定かでは無い。

ボブディランの熱狂的なファンで、癇癪持ち。LSD等のドラッグ体験で「神の啓示を受けた」とも公言する、常識的にはビジネス世界では到底受け入れられないキャラクターの持ち主。カウンターカルチャーの申し子の様だが、それでいて「ジジ殺し」で、周りに魅力光線を放ち続けが、偏屈で特定の人へ理不尽極まりない対応をしたりする。一般的にはビルゲイツの方がサクセスストーリーしては判りやすい。アップルを復活させた「名経営者」というよりも、時代を動かしたクリエーターであった事は間違いない。

もっとも個人的にはアップルの製品は好きだけど、この男の下で働きたいとは思えないなぁ・・・もっとも働かせてくれるかどうかも判らないけど。

アップルとマイクロソフトのアプローチの違いについて語っているのが面白い。結果的にどちらも成功していて、どちらが優れているとは言い難い話だけど、どちらも「コンピューター史上最大の2大詐欺」?の当事者ではある。方やゼロックスのパクリ、方やMS-DOSを慌てて買収したのに「オリジナル」と言い張ったり。

しかし波乱万丈の物語は映画化のネタには十分なるし、連続ドラマで見たい気がする。出てくる登場人物はシリコンバレーの強烈なキャラの連中ばかりだし、IT業界の栄枯盛衰物語はフィクションよりもよほどドラマチックだ。

それにしても鼻の利く男だったと思う。また世界中で花を手向けられる企業の経営者ってのも居なかった。死んだ日に銀座のAppleStoreに行ったら、続々と花を手向けに来る人がいた。

これからどうなっちゃうのかな、このカリスマを亡くして。Appleはジョブスの「作品」だったのは間違い無かったからね。

2011年5月16日 (月)

三陸海岸大津波

最近、奥さんの津島節子さんが震災以降増刷した印税を全て寄付すると発表して話題になった、吉村昭さんの往年の名著。

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実はこんな作品~名著があったなんて知らなくて、たまたま氏の別の作品を読んでいて、Amazonで何となく他の作品はどうかなと検索したら出会ったのが3月末。即、オーダーしたが注文殺到で届いたのが4月中旬だった。

ボリューム的には200ページ強の小品であるが、内容的には今回の震災以前の3大津波(明治・昭和・チリ)を綿密に取材して、淡々とした筆致ながらもスケール感のある作品。今回の大津波は過去の3大津波よりも大きさが桁外れだという事が、読んでいる内にリアルに想像できる。また、見事な位に同じ場所を同じようにやられてきたのが判るというのも、痛ましい。

昭和大津波やチリ大津波の際、被災した小学生や中学生が書いた作文を現地で氏が(図書館や郷土資料館等で)発掘し掲載してある個所があるが、親兄弟全て失ってしまい独りきりになってしまった女性の話など、何ともやりきれない。

この作品が発表されたのが41年前の1970年。そして今回の大震災。全く古さを感じさせない内容である。文中に明確に記されているが、この三陸海岸は大昔から地震の巣窟だった訳で、よもやこれを読まずに原発を建設したとは思えないが・・・きっと読んでも「昔の話だよ、昔の」と放ったらかしにしたんだろうな。

我が三鷹の文豪の一人、吉村先生も飽きれているだろうなぁ・・・。

2010年2月21日 (日)

「ほかならぬ人へ」読みました

どこかに自分の事を探してみてしまう話である。

白石一文著、第142回直木賞受賞作『ほかならぬ人へ』。

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分量は他の1作『かけがえのない人へ』と併せても、短編として調度良いボリューム。

これも「恋愛小説」のジャンルに入るのであろうか、と言うよりもどうにも埋められない自分自身の喪失感に身悶える、2編とも男と女の切ない話である。

『ほかならぬ~』のラストはしみじみと悲しさにが伝わってくる。冷え冷えとした部屋で一人骨壷を抱いて泣く・・・悲しすぎる。

2作共に言葉が活きている小説だと思った。会話の部分や情景描写に違和感が感じられない。勤務先や同僚、上司、取引先との会話・やり取り、業界事情等、正確な取材と会社勤めの経験が無いと出てこないニュアンスが感じられて、これまた良い。この辺りはとかく生半可な取材やトンチンカンな(日本じゃないみたいな)会話が出てきたりする小説が多いのだが、それが感じられないのは丁寧さを感じさせる。そんなディテールって大事だ。それをおざなりにするとせっかくの話も薄っぺらになる。

それにしても東海さんみたいな上司、男でもナカナカ居ないよ。

映画化しても面白そうだな。キャスティングで、東海さんは夏川結衣あたりなんてどうかしら・・・でもチョッとキレイすぎるか。オリジナルは「ブサイクだけどスタイルはセクシー」な人物だしなぁ。

2010年2月10日 (水)

ほかならぬ人へ

142回直木賞受賞作品。

友人が勤める版元で初の直木賞受賞作品。是非とも読んでくれ、と言われりゃあ読まない訳にはいきません。

でインプレは…?

まだ途中です。が、これは面白い。これから佳境。

…to be continued

2009年4月16日 (木)

累犯障害者

前から気になっていた本だったが、大幅に追加加筆されて文庫化されたので読んでみた。まさに愕然とする話である。

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話は全部で9章(序章、終章含め)あり全て衝撃的であるが、その中でも印象深いのは、

  • レッサーパンダ帽の男(浅草女子短大生殺害事件)
  • 障害者を食い物にする人々(宇都宮誤認逮捕事件)
  • 生きがいはセックス(売春する知的障害女性たち)
  • 閉鎖社会の犯罪(浜松ろうあ者不倫殺人事件)

レッサーパンダ帽男の殺人事件はその余りの理不尽さ裏に秘められた、犯人とその家族が抱えるかくも悲惨な運命を知るとやるせなくなる。

それにしても全く知らなかった・・・刑務所が実は福祉施設の代替装置になってしまっているという現実である。「刑務所だけが心安らぐ居場所。娑婆は怖い」という、刑務所暮らし通算50年余の放火犯。

知的障害者(いわゆる知恵遅れ)だが見た目は全く健常者と変わらない為、警察や司法の場で不利な自白や証言を認めてしまう~何を言われているか理解できない為だ。故に謂われない罪で服役せざるを得ない理不尽さ。おまけに「反省している」といる態度を示す事もできないので(訴追理由や判決を理解できない為)、確実に有罪になり入獄後も仮釈放を獲得できない。

障害者を食い物にする連中もいる。

知的障害者を何人も「養子」にして障害者年金を巻き上げるという極悪非道の輩だ。「カネの使い方を知らないから、まとめて面倒みているだけだ」とうそぶく。警察も警察で、平気で罪を知的障害者に罪をおっ被せようとする。反論できないから都合がイイのだ。

昔から風俗産業で働く女性の何割かは知的障害者であるらしい。

「チョッと足りないが素直でやさしい娘(こ)」である彼女らは、食い物にする連中にとって全く都合の良い存在なのだろう。しかし知的障害者にとって、セックスへのこだわりは健常者とは比較にならないくらい強烈なのだそうだ。つまり売春~セックスによって自分が他の人間と同様に「生」を感じられるのだという。人間としての存在理由を確かめられるのだ。

ただ「悲惨だ」では済まない現実。福祉行政の不備を訴えているだけの本ではなく、我々日本人が過去からの、ハンディキャップを有する人々に対する態度を根本からの見つめなおしを迫る様な内容だ。

厳しい本である。

2007年11月30日 (金)

「オルゴールメリーの残像」です

友人が名誉なコトで有名になるってのは自分の事みたいで誇らしいもんだ。学生時代の友人の女性がなな何と!文学賞を受賞した。

著者は井上 凛。作品は「オルゴールメリーの残像」。いくつかの短編集になっている様で、内田康夫ミステリー文学賞の特別賞「浅見光彦賞」を受賞したそうな。

ワシはまだ報せを聞いたばかりで読んでおりません。だけど皆様にオススメ致します。是非ご購入下さい。必ずorきっと面白い「はず」です。このblogのサイドバーススメとしてpick upしておきました(クリックすれば直ぐにAmazonへjumpします)→印税がいっぱい入ったらご馳走して下さい。

Marry

文藝書房から文庫本サイズ、700円也 。解説は森村誠一が書いているというからこれまた凄い。

これから2時間サスペンスドラマの人気原作者になって、室井佑月ばりにワイドショーのコメンテーターとしてTVに出演したりして。

ちなみに作者の本名(姓)は「菊池」で、旧姓は「井上」。映画バベルで一躍有名になった女優は「菊池凛子」。だからペンネームは「井上 凛」なのかな?それはチョイとうがち過ぎ?

2006年11月 2日 (木)

マオ~誰も知らなかった毛沢東

最近読んだ(読んでいる)本から。

厚みがあって値段が高い本は図書館で借りる、ってのは全く正しい。何でこうしてこなかったのだろうかと後悔しきり。こいつはまさにそれにうってつけの本だ。

上巻はチトだるい。が、段々面白くなってくる。下巻から遡って読んでいるのだが、中華人民共和国成立から文化大革命の頃はまだ比較的身近?な時代なので、イマイチ曖昧だった事柄の背景がよくわかった。

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他の人の書評でもあったけど、周恩来の位置付けがかなり厳しいのには新鮮だった。

確かに毛沢東支配の実務者として、数々の恐怖政治や弾圧の実務を担ったのだから、たとえ林彪が毛沢東に取って代わろうする野望の持ち主でその青図を描いたのであったとしても、責任を免れ得ないのは当然だ。一般的には毛沢東に犠牲になった悲劇の宰相、なんてイメージが強い。まあ毛沢東より先に死んだのがせめてもの救い?だったというところか。

それにしても毛沢東の権力欲、猜疑心、サディスト振りには鳥肌の立つ思いだ。革命時からの、忠義の鑑の様な側近を平気で濡れ衣を着せて粛清するなんざ、並みのヤクザ映画やマフィアものなんて、この事実の前では童話にもならない・・・なんて話がテンコ盛り。

でも、こんな人間って何時でも何処でも程度の差こそあれ周りにいた、現在もいる、という感を強くした。何か人間の醜悪さと残酷さの見本をみた様だった。

直ぐそこに毛沢東は居る。

2006年7月22日 (土)

ウルトラダラー

将軍様がテポドンをブッ放して非難轟々だけど、それも偽ドル作りがなせる業とした、まさにドンピシャのタイミングの小説である。面白かった。

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さすがにNHKの政治記者だったせいか、政府部内や情報(=インテリジェンス)収集の微妙さなどの描写はなかなか。「あ~アイツの事かぁ~」と実在の人物と重ね合わせたりして、作り話であるのにリアリティさが迫ってくる。

現実のテポドンぶっ放し騒動では、将軍様の後ろ盾中国もほとほと手を焼いている様だけど、北朝鮮を上手く利用する背景には東アジアの覇権は譲れないとする中国の強烈な意思を描いていて興味深かった。要するに黒幕は中国だと言う事。

ただエンタテインメントとして読むと、部分的にはリアルさ・ディテールの緻密さを感じたが、エンディングはチトあっけなさ過ぎ&荒唐無稽過ぎ。政治サスペンスの緊迫感が安っぽくなってしまった感がある。

それと小道具の使い方がちぐはぐだ。

主人公の日本趣味や登場人物の服装や所作の描写はまあ良しとしても、乗っているクルマは何だ?MGBだぁ?そんな中古の、今やクラシックカーと化したクルマなんて普通乗らないよ、よっぽどの好き者以外は。イギリスから赴任してきた、由緒正しき出自の主人公だ。あえて英国趣味を強調したいのなら、BMWに買収されながらも僅かに昔日の栄光の面影を留めるミニなんざイイんでないかい?如何にも「単身赴任で足代わりに使っています」という感じがして。

どーしてもオープンカーだってなら、せめて最近のモデルMGFくらいにして欲しいもんだ(それでも10年前のクルマだが)。

まあこの辺りには政治スリラーとしての面白さと、スパイものとしてのエンタテインメントの完成度をもっと練ってもらいたいもんである。

2006年3月14日 (火)

「沖で待つ」ヒトはなかなかいない

言葉に違和感を全く覚えない、自然さのある文体。

仕事場での雰囲気を見事に切り取っているところは、さすがに経験してるヒトじゃないと書けない。

会社の「同期」っていうの、あったなぁ大昔に、俺にも。女性総合職ってのも懐かしい響きだ。性別を超えた同期=同志的結合のココロ強さ、連帯感っていうのは確かにある。

でもそこから何を問いたいのか、正直不明だ。

非常に簡潔で読み易くイイ文体なのに。okidematsu

サラッとし過ぎている様な気がする。芥川受賞作だから大作というか、うならせるものでなければいけないというモノでもないけども。

食べモノにたとえれば出汁が効いた吸い物か、茶碗蒸しあたりか。そこそこにコクはあるけどメインではない。物足りないけど、たくさん食べるものでも無い。

受賞次回作を期待。

2005年12月26日 (月)

最近読んだ本から

新潮社新書『被差別の食卓』。

大阪の被差別部落出身の著者が、世界各地の“Soul Food”とその起源を求めて旅するルポである。KFCに代表されるフライドチキンが、アメリカの黒人にとってまさに差別と裏腹の“Soul Food”であったのは知らなかった。

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食とはまさに差別や階級、階層を露骨に且つ反映するものであることがわかる。

面白いのは差別する側が、差別される側を「それしか食べる事が出来ない」様に追い込んではずなのに、その被差別料理が結構美味しかったりするので、差別する側も喜んで受け入れていたりする事実である。フライドチキンしかり、ブラジルのフェジョアーダしかり。アメリカの黒人差別の中で、白人が食べないで捨てた手羽先や足の先っぽ等をよ~く油で揚げて食べたのが始まりで、それが白人家庭にメイドで雇われた黒人が料理で作って晩飯に出したのがウケた、等の部分は興味深い。

日本でも被差別部落の中でのみ連綿と食べ続けられていた独特の食べ物の存在も初めて知った。

著者が高校時代、初めてその食べ物が普通に食べられているものと思っていたらそれは自分達の「ムラ」の中のみのもので、ふとそれを同級生が昼休みに食べている光景に出くわして、親近感を抱きながらも複雑な気持ちになる記述などは、考えさせられる。

非常に重いテーマでありながらも、新書と感じさせない文体と内容で一気に読ませる。

アメリカのみならず、ヨーロッパ、ネパール、ブラジル、中東、そして日本の、社会構造に根深く組み込まれている「差別」を「食」を通して判りやすく語る「旅行記」としても面白い。

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